志賀高原ゲレンデクルージング [スキー]
今季の滑り納めに志賀高原に出かけた。
毎年ムスコとの滑り納めは志賀高原と決めているが、今年は例年にない良いゲレンデコンデションで、高天原から一ノ瀬・焼額山・北志賀までのゲレンデをクルージングして滑りまくった。
最後は初めての寺子屋ゲレンデも滑ることができた。
八ヶ岳の三ツ頭 [登山]
今年初めての本格的登山です。南八ヶ岳の権現岳から派生する三ツ頭に登ってきました。
天女山から少し上がった天ノ河原付近からは残雪踏んで快適トレイルが続いていましたが、久しぶりの登山で足攣り筋肉が悲鳴を上げていました。
福寿草祭り [流れゆく日々]
松本市四賀赤怒田の福寿草祭りに10年ぶりに出かけてきました。
30mほどの高さ、500mほどの幅の土手一面に咲く黄色の花には圧倒されるばかりです。
同じ時期に咲くセツブンソウは可憐なイメージですが、こちらはまさに絢爛豪華です。
セツブンソウ案内人 [流れゆく日々]
千曲市の新しい名所ともなった戸倉キティパークと倉科のセツブンソウ群生地です。
横浜市から来られた女性カメラマン関原さんを戸倉から倉科に案内してきました。
開花から5日ほどたっていましたがこのところの寒の戻りでいまいちでした。
74歳 [流れゆく日々]
太平洋戦争真っただ中の昭和18年、この世に生をうけ74年が経ちました。さすがに若さを口にすることは憚れるようになりました。この1~2年老化現象は激しく、腰・膝痛で体のバランスが悪くなり、歩行スタイルも前かがみ気味でまさに老人になりつつあります。
しかし気分・気力は衰えていません。まだまだ私がやり残したことはたくさんあります。これからも目標に向かって日々精進を重ねて行きたいと思っています。
趣味の登山は生涯目標の「日本の山1000」完登まで、残り20数座となりましたが、北海道に難山を残しています。来月は残雪期にしか登れない山を目指して、初の北海道の雪山登山に出かけます。
知床の山で「オホーツクに向かって大滑降」の夢も叶うかなと期待は大です。
北アルプスに残した難峰硫黄岳も今年は何とか頑張って登頂を果たしたいと計画しています。
まさに私の登山人生の集大成になるかという年になりそうですが、安全登山を心がけて目標達成に近づけたいと思っています。
ランニングやマラソンは体力脚力減退でもう無理になりました。
ランニングはホノルルマラソン・東京マラソンなども走れて、20数年楽しめたので良しとしたいですね。
山スキーは、精鋭の後を追うことは無理になりましたが、根子岳や鍋倉山など単独でも行けそうなところにゆっくりのんびり出かけて楽しもうと思っています。マイペースで自分が滑れる斜度でしたらまだ行けそうです。
ゲレンデでのまったりスキーはムスコと二人これからも楽しめそうです。
人生年齢に従って変化があるわけですが、いろいろ事情があって何も変化がない人生になってしまい、ただ歳を重ねているわけですが、どうにもならないことに悩んで、くよくよしても始まりません。
自分の生ある限り前を見て生きて行きたいですね。
目標の「昭和百年」まで8年、来年は後期高齢者入りですが、まだまだ意気や軒昂です。
長野県防災ヘリ墜落に思う [流れゆく日々]
長野県防災ヘリ「アルプス」が鉢伏山山中に墜落しました。
3年前の4月、私は友人と二人山スキーで北アルプス天狗原から山ノ神尾根を滑降しようと出かけましたが、尾根を間違えて赤倉山山中に迷い込んでしまい、日没でビバークを余儀なくされました。
友人は疲労で滑降不能状態の私を残して救助要請しようと先に下りました。(結局友人も里に出られなく山中ビバークをしました)
運良くビバーク地点からスマホが通じて、警察に救助要請でき、家族にも連絡を取ることができました。
寒さに震えながら、スキー板に腰を下ろし一晩耐え忍びました。朝方は冷え込んで周囲の雪が音を立てて凍りついてゆきました、
翌朝6時、県の防災ヘリが頭上に現れて無事ピックアップされました。
遭難地点から大町のヘリポートに運ばれ、近くの大町病院で低体温症などの治療を受けた後、急性心筋梗塞の疑いも見られ、救急車で松本市の信州大学病院に移送され、心臓カテーテルを行いました。結局大きな問題はなく一晩入院の後帰宅できました。
この話は話せば長くなりますが、ここで遭難自慢をするつもりはありません。
今思えば、あの時救出いただいたヘリは、今回墜落した防災ヘリ「アルプス」であったのではと思うのです。
という事は遭難したパイロットは命の恩人です。
「アルプス」は山岳救助で千人を超える遭難者をピックアップしたという事を知りました。
命の恩人にただ感謝するとともにご冥福を祈らずにはいられません(合掌)