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私の平成 [私も一言]

私にとって、昭和を45年間生きて平成が始まりました。平成の30年間を振り返ってみると、やはりいろいろなことがありました。
建設会社に勤務時代、地元長野のゴルフ場造成工事中に昭和天皇が崩御し平成に変わりました。平成2年、湾岸戦争が始まった時に埼玉県の川越市の事業所に転勤となり、単身赴任が始まり、金帰・月来の生活が約12年続きました。平成12年には40年近く勤めた建設会社を退職し関連会社に転籍しました。同じ川越市にあった関連会社に2年余勤め、平成14年自己都合で退職し、12年の長きに亘った単身赴任生活にも終止符をうちました。
その後2か月ほど無職でしたが、長く勤めた建設会社の知り合いの紹介で、長野市のエムウェーブの施設管理の会社に勤めることになり、平成18年まで4年間勤めました。スピードスケートファンであった私には、選手の練習などを見ながらの勤務は新鮮で感動したものです。しかしここも63歳定年で退職しました。6年間に3回も会社を辞めざるを得なくなって、もう会社勤務をやめ年金生活に入ろうと決断し、半年間自由人を謳歌していました。
しかし働きたい思いも強く、体調にも問題ないので地域のシルバーセンターに登録し、64歳から68歳まで4年間デイサービスの送迎業務をしました。介護職員の献身的な活動に感動を覚えたものです。送迎業務を辞めたのは東日本大震災のあった平成23年3月でした。

以降は完全リタイアで年金生活に入り、趣味の登山で全国行脚の年月を過ごしています。
昭和の45年間は社会人になった18歳からの27年間は主に山岳土木や都市土木の現場監督として、働き詰めの日々を過ごしました。平成の30年間は昭和の時代とは違って、色々な仕事をして、また色々な人とのお付き合いがあって、変化に富んだ時代であったように思えます。特に仕事を離れて登山・マラソン・スキーなどの趣味を通じて知り合いになった方々から多大な影響を受けて、充実した日々を過ごせました。

「我が人生に悔いは無し」と云うほどの充実感はなく、悔いの残ることもありますが、「まあそれなりに楽しい平成の30年間であった」と思っています。
今76歳、令和の時代どのくらい生きられるか分かりませんが、家族の小さな幸せを祈りつつ、元気にそして静かに過ごしていきたいと思っています。


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