坂城町の大道山と大峯山 [登山]
「山人の会」、水沼さん・増田さんと坂城町の東山山系埴科トレイル(カモシカ永井さん命名)の大道山と大峯山に登ってきました。大道山は堂叡山とも呼ばれ御嶽信仰の山で大きな石仏とっ石碑が立っていました。師走とは思えない陽気の中里山歩きは楽しいですね。
当初計画は和平高原~大道山~大峯山の埴科トレイルの稜線の一部を歩き、大峯山から上信越道坂城IC付近に下る予定でしたが、和平高原から稜線に登る区間に笹薮が有るので、昨日までの大雨で笹が濡れていることを考慮して、大道山に直接登るコースに計画変更しました。
8:30坂城駅集合し増田さんの車を下山口の坂城インター付近にデポしました。坂城町内を走って和平高原に向かう道路の途中から平沢集落への道に入りました。坂城町出身の私も初めて走る細い道で、リンゴ畑の中をゆっくりと走りました。
平沢集落手前から分岐する林道に入り、最後は横引林道に入って大道山登山口に着きました。(この間未舗装の林道は約2キロほどです。)大道山、地元では堂叡山と呼ばれています。
9:25登山道に入りました。
登山道はまだ車が走れるほどの林道を行き、30分ほどで本格的登山道に入って(林道をショートカット)小灌木の被さる道を行きます。その昔は桑畑でもあったかのような耕作放棄地の形跡がありました。
さらに30分ほど歩いて稜線に登りつきました。(林道は稜線直下まで延びていました)この稜線はトレランコースとしても利用されている埴科トレイルです。(トレイルランナーの猛者が走りまくっているコースですが今はどうなのかな)
稜線上を15分ほど南側に歩いて大道山に着きました。
大道山は御嶽信仰の山で別名堂叡山と呼ばれる信仰の山です。山頂には御嶽大明神・三笠山大明神・八海山っ大明神の石仏三体が立っていました。
また「堂叡山大日大聖不動明王」と彫られた巨大な石碑もありました。
こんな大きなものをどうやってこの山頂まで持ち上げたのかと考えると夜も眠れないですね。江戸時代末期から明治時代初めには比叡山などと三叡山として一心講の信仰の山で、近郊の信者が良く登られた山だそうです。
堂叡山で一休みの跡稜線を大峰山に向かいました。
下りきったところが柴峠です。ここからは上田市傍陽の入軽井沢に下る道が有りますが、藪に隠されがちで今は歩く人も無さそうです。
登り返して水晶山です。
水晶など出る山ではないですが、村上義清公が水晶を亡くされた山だそうです。(水沼さんの解説)
水晶など出る山ではないですが、村上義清公が水晶を亡くされた山だそうです。(水沼さんの解説)
水晶山からは少し灌木藪の煩い道を下り、やがて快適トレイルの続く尾根を行きます。
樹間の西側には北Alpsの白銀の峰々が見えますが少し遠いですね。
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